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広島県無形民俗文化財 湯立神楽 映像制作

地元の神社で、継承されている「広島県無形民俗文化財 湯立神事」を撮影しました。

湯立神楽とは

 湯立とは 釜湯立・湯花とも言い、神前の大釜に熱湯をたぎらせ、その湯に笹の葉をひたして打ち振り、その湯の滴(湯花)を体にあびて、釜の周囲を廻りながら舞ううちに、神懸りとなって託宣をのべる神事でありますが、古代神前にて熱湯を探り正邪の証を立てる盟神探湯(くがたち)の遺習とも考えられています。

 現在残存している数少ない湯立の中にも、神意を問うための湯立、浄め祓えのためのもの、冲楽を主とするものなどの別がありますが、当長尾神社伝承のものは、湯立と湯立舞との連結から成り、祭祀の前に湯立の浄め祓いを行い、続いて湯立の舞を奉納するという、他に余り類例のないものです。

 湯立は庭前に水を入れた大釜二つを設え、釜の中にそれぞれ、小さな弊串を三本立てた藁の輪を浮かべ、熱して沸き立つと、笹の葉をつけて、その湯花で社殿境内参拝人を清める。その神事が終了すると、湯立の舞となります。  湯立舞は、素面の舞人三人、太鼓一人・小太鼓一人・笛一人・手打鉦一人の計七人で、いずれも烏帽子・千早衣・差袴を着します。舞は初めに弊舞、次に太刀舞の二段から成り、右手に鈴、左手に弊を持って舞い、後段は左手の弊を太刀に持ちかえて舞います。まず太鼓の音に合わせて三人の輪をつくり、ゆっくりと舞い始めて次第に急調子になり、その頂点で舞を収めるのですが、その序破急の動きは、ちょうど釜の中の湯が徐々に沸えたぎって、三本の小弊を立てた湯の中の輪が、熱湯に激しくゆれ動く様にさも似ていて、恐らくこの様子を舞に表現したのではないかと思われます。  長尾神社伝承のこの湯立神楽が、いついかなる経路で、この山間僻地に移入されたかは、明らかにし得ませんが、少なくとも江戸中期以前(正徳年間)頃にさかのぼるようです。

 元来湯立神楽を行うには、当時の神道宗家である京都吉田家の伝承を受けたものに限られていました。長尾神社には往古より伝承の沙庭神楽十二曲・岩戸神楽などがあり、正徳五年(一七一五)京都の天子之宮の招きで、一行六人が上京し、二十二日間盛大に興行したとの旧記があり、またこの湯立神楽奉納の願主である隅屋(加計家)は、当時鉄山経営を家職とし、大阪に出店をもち陸海輸送の安全祈願をたびたび斎行したことなどから考え併せると、その頃に吉田家の伝承を受けたと思われます。かくして、以来大正末年まで毎年、隅屋から例祭日に奉納されてきました。しかしその後は神社附属の神楽団の衰微とともに中絶していましたが、昭和三十三年古老の伝習をもとに再興し、神社氏子より氏子繁栄祈願のため奉納されることになり、昭和三十八年その数少ない特異性から、県の文化財に指定されました。

 隅屋の家史「加計万乗」に、宝暦四年(一七五四)九月鉄山繁栄祈願のため、毎年九月十五日に湯立神楽を奉納し、舞太刀四振を寄附したとあり宝暦十一年(一七六一)二月にも所用の太鼓一・鈴三・釜二・五徳二・弊台一を寄進し、寛政八年(一七九六)にも、着用の金襴千早衣三重を寄附した記事が見えていて、当時の弊台・鈴・釜・五徳などが、現存し保管されています。

広島県無形民俗文化財湯立神楽保存会

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